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『克・亜樹先生』 その1

今回の「まんがのチカラ」は、文字通り老若男女から幅広い支持を集める『ふたりエッチ』の克・亜樹先生をお呼びしました。ほのぼの系ラブコメの第一人者として知られる克先生のまんがロード、そのはじめの一歩から、不可能を可能にする仕事術までを丸ごと紹介します!!

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ひたすらまんがを描きまくった少年~学生時代

――まずは先生の少年時代について教えてください。克先生はどういう子ども時代を過ごされたのでしょうか?

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克:今と同じ、まんがばかり描いている子どもでした。小学2年生くらいのころから、一心不乱に描いてましたね。ちょうどこの年から『ドラえもん』(藤子・F・不二雄先生)が始まったんですよ。その影響が大きかったのだと思います。とにかくまんがが大好きだった。

――描いていたのはまんがですか? それともイラストですか?

克:まんがですね。お話を作るのが大好きで、ちゃんとコマを割って描いてました。絵を描くのはそんなに好きじゃなかったんですよ。実は、今でもそうなんですけど(笑)。

――ストーリー志向だったんですね。ちなみにどんな内容だったんでしょう?

克:動物ものが多かったように記憶しています。当時好きだったアニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』(タツノコプロ)の影響かな。ほのぼの系で読み切り形式のお話をたくさん描いていました。

――当時からほのぼの系の作品をお描きになっていたんですね。

克:そうですね。昔からほのぼの系でした。

――部活に所属したり、サークルを作るようなことはされてなかったんですか?

克:高専の時は漫研(まんが研究会)を自分たちで作りましたが、率先して何かって感じではなかったですね。でも、中学の時はテニス部に入っていました。『エースをねらえ!』(山本鈴美香先生)がはやっていたからなんですけど(笑)。当然、ぜんぜんついていけなくて、途中でやめちゃいました。

――エースにはなれなかったんですね。

克:全然なれなかったですね~。その後は帰宅部になって、自宅でずっとまんがを描いてました。150ページくらい描いたところで単行本にして、学校の友達に見せていましたね。

――150ページも? それを一人で描いていたんですか?

克:そうですね。2カ月で1冊くらいのペースで描いてました。鉛筆描きでペン入れはしていないですから、そんなにムチャな話でもないんですよ。

――いや、じゅうぶんムチャというか、スゴイと思いますが……内容はやっぱりほのぼの系だったんですか?

克:いろいろですね。アクション系もあったし、当時はやっていたオカルト系もたくさん描きました。もちろんラブコメもね。

――え? 中学生の時にラブコメを描いてたんですか!?

克:描いてましたよ。大好きだもん(笑)。当然彼女なんていませんから、ぜんぶ想像で描くんですけどね。クラスのみんなも喜んでくれるんで、いい気になってガンガン描いてました。

――その頃にはもうプロになろうと?

克:何となくなれるとは思ってましたね。ただ、その後、実際にインクを使って描き始めてからは、想像していた以上に大変で驚いたんですけど。

――インクを使って、本格的に描き始めたのはいつ頃なんですか?

克:中学時代、高校時代と、何度かチャレンジしているんですが、きちんと描けるようになったのは二十歳くらいのころですね。大阪芸大(大阪芸術大学)って大学に通っていたんですが、そこの先輩にいろいろ教えてもらって、やっと投稿できるレベルのものが描けるようになった。

――大阪芸大というと、まんが/アニメ関係の著名人をたくさん輩出している名門ですよね。

克:そうですね。特に僕のいた時代はすごかったですね。だから逆に感覚がおかしくなっちゃって大変でしたよ。

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たとえば当時、研究室に在籍していた士郎正宗さん(『攻殻機動隊』など)が描いた同人誌を見せられて「うわー、大学生はみんなすごいレベル高いんだな!」と思いこんだり。もちろん、それは大学生がすごいんじゃなくて、士郎正宗さん個人がすごかったという話なんですけど(笑)。

――士郎正宗先生は普通の大学生というレベルじゃないですからね。大学ではまんが関連のサークルに在籍していたんですか?

克:矢野健太郎さん(『ネコじゃないモン!』など)が作った漫研(大阪芸術大学漫画アニメーション研究会「グループCAS」)に入ってました。というより、漫研はそれ1つしかなかったんですけど。

――大阪芸大の漫研と言うと、最近、島本和彦先生(『新・吼えろペン』など)がヤングサンデーに描かれた『アオイホノオ』に登場する、大作家芸術大学の漫研のモデルになっていますよね? 当時の熱気というか、異常さというか、デタラメな雰囲気をもろに反映したグループのように描かれていましたが……。

克:もう、あのまんまの場所でしたよ(笑)。ちなみに僕は島本さんの2年遅れで入学しているんですが、島本さんはすでにプロデビューしていて、サークルには全然来ていなかったですね。

――当時の友人で、今、プロの作家になった方はいらっしゃいますか?

克:モーニングで『ゴン』を描いていた田中政志さんが先輩でした。当時、漫研には、まんが家志向の人と、アニメーター志向の人がいたんですが、田中さんはまんが家志向で、「まんが家のアシスタントなら、がんばれば月20万円くらいにはなる。俺と一緒に一所懸命投稿しよう」って声をかけてくれたんですよね。

その後、田中さんは翌年くらいに講談社で賞を獲ってすぐに上京しちゃうんですけど、別れ際にも「がんばれよ!」って励ましてくれて……。学生時代、一番世話になった人だったと思います。

――その後の田中先生の活躍は言うに及ばずですが、克先生のほうは、どんな調子だったんですか?

克:ラブコメが好きだったこともあって、少女まんが誌に投稿していたんですが、あんまり芳しくなかったですね。それで少年誌にも出そうと思って、白泉社と小学館の両方に出したんですよ。そうしたら両方とも入選して、しかも雑誌に掲載してもらうことができました。

――おいくつくらいの時ですか?

克:21歳ですね。僕は2年遅れて大学に入っているので、まだ在学中でした。

――そういえば、インターネットの百科事典「Wikipedia」にも「高校卒業後は二年間放浪していた」なんて書かれていますね。

克:そんなふうに書かれているようですね。でも、実際はどこにも放浪してませんよ(笑)。ただ単に僕が高専(5年制)の出身で、そこから大学を受験したので2年多くかかっているだけ。正確に言うと、4年生の時に美大の受験を決心し、そこから1年予備校に通って勉強したから合計2年遅れたということですね。

――夢のために1年勉強されたんですね。

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克:……いや、実は遊んでました(笑)。遊んでいたというか、ひたすらまんがを描いてましたね。でも、モラトリアムの時代なんてそんなもんですよ。美大に入りたかったのも、まんが家になるためですし。

なんにせよ、放浪はしていないですね。その2年間は、引きこもってまんがを描いていたんです(笑)。

克・亜樹プロフィール

克・亜樹(かつ・あき) 1961年、福岡県生まれ

1983年に白泉社、小学館のまんが賞に入賞。1985年に少年サンデー増刊『まぼろし佑幻』で連載デビュー。その後、少年サンデー本誌で『はっぴい直前』や『星くずパラダイス』などのラブコメ作品を連載し、ほのぼの系ラブコメの第一人者として名をあげた。現在は活動の場を青年誌に移動。1997年から連載開始した『ふたりエッチ』ヤングアニマルヤングアニマル嵐)が単行本発行部数2200万部(累計)を越えるメガヒットを記録している。


「まんがのチカラ」次回予告
今やラブコメの名手である克・亜樹先生の連載デビュー作は、なんとアクションまんが。学生時代からラブコメを描き続けてきた先生の連載デビュー作が何故アクションまんがとなったのか? そこからどのようにして出世作であるラブコメ『はっぴぃ直前』につながっていったのか? 先生自ら語ってくださいました。次回は2008年8月18日掲載予定。お楽しみに!

2008年08月11日