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『荒木飛呂彦先生』 その4

荒木飛呂彦作品と言えば、個性的なビジュアルも魅力のひとつ。
音楽や映画との関連性も指摘される、独創的な世界観はどのように作り出されているのか、その源流をたどって行くと、そこには少年時代の荒木先生が......。
そして少年から青年へ。デビュー直後の下積み時代についても回想していただきました!

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荒木飛呂彦 -その下積み時代-

---- 少年ジャンプ時代のお話を伺いしてもいいですか? まずはデビュー作である『魔少年ビーティー』(1983年)について教えてください。あの作品はどのようにして生まれたのでしょう?

荒木:僕ね、シャーローック・ホームズが大好きで、それの逆バージョンっていうんですか? 頭の良い主人公が、知能犯的に悪いことをするんだけど、それは友情のための戦いであって、決して私利私欲のための戦いではないっていうのを描きたかったんです。

---- でも、やってることは悪いことですよね?

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荒木:悪いことだけど、悪を倒すために悪いことするんです。実はそれが正義なんだって考え方。当時から「善悪とはもっと複雑な概念なんじゃないのか」って気持ちがあって、そういう気持ちを込めて描きました。単純な勧善懲悪とか、うさんくさいこと言いたくなかったんですよ。

---- 今、読んでもけっこうドキリとさせられる内容ですよね。

荒木:でも、編集部からはムチャクチャ言われました。もう「魔少年」ってタイトルが駄目だって(笑)。担当さんが味方してくれて、なんとかそのまま連載になりましたけど。

---- 読者の反応はどうだったんですか?

荒木:最初はやっぱりとまどったらしいですけど、最後の方はけっこう支持されたみたいですね。

---- そうすると10週で終わらせてしまったのはもったいなかったですね。

荒木:いやあ~、僕、そのころ仙台住んでいてねえ。ほんっとにギリギリだったんですよ(苦笑)。1週間分を描くのに2週間くらいかかってて......。もちろんアシスタントなんかいないから、全部1人で描いてて。あそこで、やめてなかったらどうなっていたことやら。

---- 体力的にも10話が限界だったと。

荒木:そうですね。とにかくあの当時思ったのは、どうやれば週刊連載なんてできるのかってこと。単行本1冊分描くのにあんなに労力使うわけですから。

ところがその時、『こち亀』(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)なんかは、50巻くらい出ていてね。この人(秋本治先生)は、一体なんなんだって思いましたよ(笑)。

---- 『魔少年ビーティー』終了後は、どうされたんですか?

荒木:すぐに次回作をどうしようかを担当編集者と話し合い始めました。その結果、『ビーティー』では知的な戦いを描いたので、今度は肉体的な戦いを描こうということなりました。それが『バオー来訪者』(1984年)です。

で、そのための取材をしたり、資料になりそうな本を漁ったり......例えば『バオー』では秘密結社が出てくるんですけど、そのために、ヨーロッパに実在する秘密結社について書かれた本を読んだりしてました。

そして、その上で4話分のネームを書いて新連載の審査に出して、連載が決まったところで東京に引っ越して......というか、担当さんに「仙台に原稿を取りに行くのがイヤだ」って、人さらいのように拉致されてきて(笑)。

それがだいたい連載開始の3ヶ月くらい前なんですが、あとはずっと前倒しで原稿を描いてましたね。『ビーティー』の時に「直し」で苦しんだので。

---- 「直し」が多かったんですか?

荒木:そうですね、10ページの直しくらいざらです。連載は19ページなのに、毎週実質30ページくらい描いているの(苦笑)。担当さんから「これ駄目だ」「これ描き直せ」って。

---- 具体的にはどういう?

荒��:顔の表情とかかなあ。未熟だったから、最初の絵と最後の絵が違うんですよ。そういう時は絶対に描き直させられましたね。

あと、これは、その担当さんだけのコダワリなのかもしれないけれど、「バコ!」とかいう描き文字の「ハ」の部分が「リ」に見えるから描き直せとか......。それで描き文字が顔にかかっちゃうって事になると、コマ全部書き直しですよ。

---- それは大変ですね。勘弁して欲しいって思ったことはないですか?

荒木:「勘弁してください」ってのはない世界ですね。

当時、『ブラックエンジェルズ』が大人気だった平松伸二先生ですら19ページ丸まる描き直しとかさせられたことがあったそうですから、「お前みたいなヤツはしょっちゅうだよ」って(笑)。

なんか、最近直しをイヤがる新人がいるらしいですけど、信じられないですよね。ありがたいことを自分から拒否してどうするのって思うんですけど。

---- アシスタントは入れなかったんですか?

荒木:『バオー』から入れました。ただ、僕自身がアシスタント経験がなかったので、どう指示していいのか分からず、逆にどう指示してほしいのか聞いたり......。最初のころはそれがあんまり上手くいかなくてストレスになってましたね。

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例えば、ここにベタを塗ってくれって頼むと、ほかのとこ塗ってきたりするんですよ(苦笑)。そういう時に怒るべきなのか、優しく諭すべきなのか、自分の指示が悪かったと反省すべきなのか、とにかくどうしていいのか分からなかった。このあたりは、ずいぶんと試行錯誤しました。

---- とにかく我流でなんとかしていくしかなかったわけですよね。そうすると、よそでやっていたアシスタントさんが、荒木先生独自のやり方にびっくりしたなんてこともあったんじゃないですか?

荒木:あったと思いますよ。実際に聞いたのは破壊されたものの描き方についてですね。僕は、例えば茶碗が割れたときとか、破片がジグソーパズルみたいにきちんとはまるように描かれていないとイヤなんですが、こういうのを適当に描く人がいる。

それについて、「タマゴ割って、破片が合わなきゃおかしいでしょ。丸くならなきゃおかしい」って言ったら、その人は別のまんが家さんのところで、荒木飛呂彦にこういうこと言われてびっくりした、って(笑)。

---- 確かに当時(80年代)は、そんなに絵にこだわっていたまんが家さんって多くなかったと思います。先生は、ちょっと先に進みすぎていたのかも知れませんね。

荒木:でも、技術的なところで、アシスタントさんから学んだことも多かったですよ。

『北斗の拳』の原哲夫先生とか、『キャッツ・アイ』の北条司先生とか、絵の上手いまんが家さんのところでやっていた人は、やっぱり上手なんですよ。しかも、なんでか知らないですけど、彼ら、『北斗の拳』の生原稿とか持っているんです。それを見せて貰って、「ここどうやんの?」とか教えてもらったり(笑)。

---- やっぱり、絵の上手いまんが家さんの描き方には興味があったんですか?

荒木:そりゃあ、ありましたよ! 当時、『コブラ』の寺沢武一先生の原稿がどうしても見たくて、編集者に頼み込んでコピーをもらったりしました。あり得ない方向にペンが走ってたりして、どうやって描いているのか、すごい気になってたんですよ。

---- 今では業界トップレベルの技術力・表現力との呼び声も高い荒木先生ですが、デビュー直後は勉強また勉強の日々だったんですね。

荒木:いや、今でもけっこう直しているんですよ。直してあれなんです(笑)。

(次回更新予定: 7/23(月)頃)

荒木飛呂彦プロフィール

荒木飛呂彦(あらきひろひこ) 1960年、宮城県生まれ。

『武装ポーカー』で第20回手塚賞準入選。1983年、週刊少年ジャンプ『魔少年ビーティー』で週刊連載デビュー。その後、『バオー来訪者』を経て、『ジョジョの奇妙な冒険』を連載開始、同誌で15年以上続く長期連載として人気を博した。また、それと平行する形で、歴史上の偉人にスポットを当てた『変人偏屈列伝』の原作も担当(一部は作画も担当)、その独自性のある展開や演出には熱心なファンが多い。現在は、ジョジョシリーズ第7部に相当する続編『スティール・ボール・ラン』をウルトラジャンプで連載中。


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2007年07月17日