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『若杉公徳先生』 その1

今回の「まんがのチカラ」は、そのあまりに過激な内容が、まんが業界だけでなく、音楽業界でも話題となっている『デトロイト・メタル・シティ』の若杉公徳先生。「まんがのチカラ」初のギャグ作家インタビューをお届けします!

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なんとなく上京、そして......

――まずは先生の普段の生活について質問させてください。これまで取材させていただいた先生がたは、みなさん意外にも朝型の健康的な生活をされていたんですが、先生はいかがでしょう。やはりきちんと朝起きていらっしゃるんですか?

若杉:いや、夜型ですね。忙しさに関わらず、日が昇ってきてから寝て、ダラダラと11時くらいに起きます。学生のころからずっとそうなんですよ。ある意味で規則的ですけど、全然、健康的じゃありませんね。

――起きてからは、どんな感じなんですか?

若杉:原稿ですかねー。締め切りがないときは、うーん......特に何もしてませんね。今は趣味を探しています。

――たとえば料理とか?

若杉:いや、面倒くさいのはイヤなんですよ。いろいろやらないといけないものはちょっとダメですね。

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こないだ落語を聞いてみようと思ってCDを買ってきたんですけど、聞き流していますね。面白いって勧められたんですけど、僕には早かったです。

あと、将棋とかもやりかけたんですけど、昔、父親に無理やりやらされたことを思い出して途中でイヤになっちゃってダメでした。

――分かりました(笑)。ちなみに、まんがはお読みになるほうなんですか?

若杉:古いですけど『ゴリラーマン』(ハロルド作石先生)の大ファンです。子供のころにジャンプにハマって、それからヤンマガっていう流れで......。『ゴリラーマン』もそうなんですけど、気に入った作品はひたすら繰り返し読むタイプですね。

――同じヤングアニマルの作品で注目している作品は?

若杉:『デトロイト・メタル・シティ』の連載を始めるときから『ベルセルク』(三浦建太郎先生)にだけは負けたくねぇと思って......ウソです。すいません(笑)。

――先生がまんが家としてデビューするまでの道のりを聞かせてください。先生がまんが家を志すようになったのはいつごろなんですか?

若杉:まんが家には小学生のころからなりたいって思っていたんですけど、ちゃんと描き始めたのは大学4年生のころですね。回りがみんな就職活動を始めて、それで焦り始めて......。

で、描き上がったものをヤンマガの賞に送ったら、いきなり奨励賞がもらえたんですよ。実は全然自信がなかったんで、結果が出る前に立て続けに3本応募してたんですが、それも全部入賞しました。同時に応募したビッグコミックスピリッツのほうも賞をいただいて......。

――それって、すごくないですか?

若杉:いや、そんなことないですよ。特にヤンマガの賞は毎月やっているので、けっこうもらってる人多いんじゃないかなぁ......。それに、その頃にはもう卒業して2年くらい経ってたので、まんがをこのまま続けていくか、けっこう悩んでいたんですよ。

――地元での就職と天秤にかけつつ?

若杉:いや、就職は考えてなかった。本気でまんが家を目指すか、このままダラダラとバイトをし続けていくかの二択で(笑)。

そうしたら、ビッグコミックスピリッツの編集者から電話がかかってきて「上京してアシスタントやってみない?」ってお誘いがあったんですよね。

――人生のターニングポイントですね! やはり「これだ!」って思いましたか?

若杉:いや、なんとなく、まあ、ちょっと、やってみるかな、って感じでした。親も「いいんじゃない?」って感じで���たし、友達から背中を押されたってこともなかったですね。

それで、山本康人先生(『鉄人ガンマ』『超人ウタダ』など)のところにお世話になることに決めて上京し、そこで5年ほどアシスタントをしました。

――山本先生のところでは主にどのようなパートを分担していたんですか?

若杉:背景とスクリーントーンですね。人物も手伝わせてもらったことがあるんですけど「全然、俺の絵に似てない」って、最後の方はぜんぜんやらせてもらえなくなっちゃいました(笑)。似せようとはしたんですけど、何度持っていってもダメで。

――初めて体験するプロの仕事場はどうでしたか?

若杉:いや、もう、びっくりしましたね。自分がやっていたことが落書きみたいなもんだったって思い知らされましたよ。なにせ、当時は原稿に消しゴムかけるってことすら知らなくて......。

あと、スクリーントーンの正しい使い方も山本先生のところで教えてもらいました。トーンを貼ったあとに、かすれるように削るっていう手法があるんですが、それまでの僕は土台のシートごと削って、原稿用紙の表面をボロボロにしていたんです。ところが正しくは、シートの上に印刷されたドットの部分だけ削れば良かった(笑)。

そんな感じで、入った当初は、「こうやって描くんだ!」って驚きの連続でしたよ。山本先生のところで得たものは本当に大きかったと思いますね。

――最初は、見様見まねで大変だったでしょう?

若杉:そうですねー、最初は全然に役に立ってなかったと思いますよ。1年くらい経ったところで給料が上がったんで、そのくらいから役に立てるようになったのかな? 6~7人いる大きな仕事場だったんですが、最終的には中の上くらいのポジションになりました。

――何か、大きな失敗をしてしまったとか、そういうエピソードはありますか?

若杉:小さいミスはあったと思いますが、大きいのはないですね。でも、当時、隣に座ってた同僚はすごい失敗する人でした。消しゴムかけてて原稿をグシャグシャにしちゃって、なんとか元に戻そうとしているんですけど、もう7割くらい破けてるんですよ(笑)。

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あと、星空のシーンを描くとき、黒いバックにホワイトインクを息で吹きつけるんですが、作業に夢中になっちゃって顔中ホワイトまみれにしちゃったり。

緊張感のある職場にそういう人がいると救われるんですよね。彼とは音楽の趣味とかも合ったので、今でも仲がいいですよ。一緒にライブに行ったりしてます。

――山本先生はどんな方でしたか?

若杉:とても厳しい人でしたね。あ、いや、でも時には優しく(笑)。僕にとって頭の上がらない恩人ですね。今でも時々電話しますよ。

――どんなお話を?

若杉:たわいもない世間話ですよ。フレンドリーに話してくれるんで、ありがたいですね。

――今は逆にアシスタントを使う側になったわけですが、現在は何人体制でやっているんですか?

若杉:今は2人です。ヤングアニマル編集部から紹介してもらって手伝ってもらってます。両方とも21歳の若者です。

――やはり、まんが家を目指して、先生のところへ?

若杉:そうですね。特に片方は熱心ですね。同人誌もやってるそうで、技術的には大したもんですよ。もう片方はおっとりした感じですね。

――タイプ的には、おっとり型のほうに親近感をいだくんじゃないですか?

若杉:いや、そんなことはないですよ。両方に感じてますよ(笑)。

[次回予告]
次回(2007年8月23日頃掲載予定)は、若杉先生の連載デビュー作『アマレスけんちゃん』と、ヒット作『デトロイト・メタル・シティ』についての制作秘話をお届けします。お楽しみに!

若杉公徳プロフィール

若杉公徳(わかすぎきみのり) 1975年、大分県生まれ。

1998年、ヤングマガジン月間漫画賞で奨励賞受賞。同年、ヤングマガジン増刊 赤BUTA『僕の右手を知りませんか?』でデビュー。その後、アシスタント経験を経て2004年に『アマレスけんちゃん』をヤングマガジンアッパーズに不定期掲載し、翌年からはヤングアニマルにてヘヴィメタルをモチーフにしたギャグまんが『デトロイト・メタル・シティ』を連載開始(現在も連載中)。過激なセリフや、80年代コミックのパロディなどといった独特のセンスが人気を博し、ネットを中心にカルトな人気を集めている。


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2007年08月16日