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『尾田栄一郎先生』 その1

2007年最後のまんがのチカラは、超ビッグゲストとして尾田栄一郎先生が登場!! 今や国民的コミックの枠を超え、世界中で大人気の海賊まんが『ONE PIECE』。今年10周年を迎えたこの超大作を熱筆中の尾田先生が、その下積み時代、『ONE PIECE』制作秘話、アニメ化時の奇跡などを、盛りだくさんに語ってくれました!!

『尾田栄一郎先生』 その2>>

"隠れまんが家"だった地元時代

――まず先生が漫画家になろうと思ったきっかけを教えていただけますか。

尾田:「まんが家」という職業を知った瞬間ですね。幼稚園の頃、藤子不二雄先生の作品が大好きだったんですが、この人達がまんがだけを描いて生活しているらしいと聞いてとてもうらやましいと思ったんです。それは当時の僕にとって「働いていない」と同義でしたから。

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もちろん、まんが家はまんがを描くという仕事をしているんですが、子供にとって絵を描くことが仕事だとは思えないじゃないですか? 私の父がそうであったように、スーツを着て会社に行くことが「働く」ってことだと思っていたんですよ。

それで、ぜひそれ(まんが家)になりたいと思ったんです。 当時から絵を描くことが好きだったし、回りからも上手いって言われていたので、ちょっと自信もあったんですよね。

――そこから、実際にどういうことをしたんですか?

尾田:15歳のころから投稿を始めて、17歳のときに賞をいただきました。

ただ、そこからが大変だったんですよ。絵にはそれなりに自信があったんですけど、まんがは絵だけじゃダメなんですね。僕はストーリーを作るのが苦手だったので、担当さんにネーム(まんがの下書き)を見せても、良くない点をたくさん指摘されて先に進めないんです。

それが最初のプロの壁でした。当時の僕は絵が上手ければまんが家になれる、絵が上手い人がまんが家なんだと思っていたんですが違いましたね。それで、その頃から、真剣に「お話」を考えるようになっていったんですよ。

その後、まんが家を目指しつつ、高校を卒業して、熊本の大学に行ったんですが、1年通ったところで「この時間がもったいない」と考えて、上京することにしました。

まぁ、勉強もイヤだったんですけど、とにかくこのまま大学生を続けていたら埋もれてしまうって危機感が大きかった。つい遊んじゃうじゃないですか、大学生って(笑)。

――大学に同じようにまんが家を志していた同志みたいな人はいなかったんですか?

尾田:いなかったですね。というか友達に自分がまんがを描いていることを隠していたんですよ。今はどうか知らないですけど、当時って、素人がまんがを描いているとバカにされたんです。

僕はオタク呼ばわりされたくなかったので、プロになるまではこっそりやろう、隠れまんが家で行こうって決めていたんです(笑)。プロになって成功すれば一目置かれますから、こそこそやる必要はなくなりますよね。そういう意味でも「一日でも早くプロになって認めてもらいたい!」って気持ちが強かったと思います。

それで大学をやめて、とにかく現場に行きたいと思って、担当さんにアシスタントの口を紹介してもらいました。

――初めて見たプロの現場はいかがでしたか?

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尾田:当時(1994年)ジャンプで『翠山ポリスギャング』を連載していた甲斐谷忍先生(『ソムリエ』『LIAR GAME』など)のアシスタントに入ったんですが、なによりビックリしたのが、プロの原稿の美しさですね。

ジャンプの誌面って再生紙だからざらざらしてて汚いじゃないですか? でもその原版はものすごくきれいなんですよ。想像していたものの10倍はきれいでしたね。同時期にいろいろな仕事場に行きましたけど、どこに行っても原稿の美しさに感動させられました。自分の描いたものとは比べ物にならなかったです。

――そのほかにプロの仕事で感動したことっ���ありますか?

尾田:甲斐谷先生の連載が終了した後、徳弘正也先生(『ジャングルの王者ターちゃん』『近未来不老不死伝説 バンパイア』など)のお世話になったんですが、徳弘先生の、予定通りテキパキと仕事を進めるところに感心しましたね。あの人は本当に「プロ」ですよ。僕もつねづね見習いたいと思っているんですけど、どうも僕はそういうまんが家じゃないみたいで(笑)。

――徳弘先生のところではどういう作業をしておられたんですか?

『ターちゃん』とその次の作品(『水のともだちカッパーマン』)の背景を描いていました。結局、1年半くらいお世話になったんですが、そこで、本当にいろいろなことを教えてもらいましたね。人物の輪郭の描き方とか、表現手法とか......。アシスタントを辞めたあとは、年賀状くらいしか交流がないんですが、徳弘先生は僕の一生の恩人です。

――尾田先生のアシスタント時代というと、和月伸宏先生(『るろうに剣心』『エンバーミング』など)のことを挙げる人が多いですよね。徳弘先生の仕事場をお辞めになった後、すぐに和月先生の仕事場に参加されたんですか?

尾田:そうですね。ただ、和月先生のところにいた時期はそんなに長くないんですよ。毎週ずっと詰めていたのは4ヶ月くらいじゃないかな。それ以降は自分の連載の準備をしたかったので、隔週でお手伝いするような形になっていきました。

――なにか和月先生の仕事場の思い出を教えていただけますか?

尾田:和月先生の仕事場では、とにかく多くの出会いがありました。「まんが仲間」というか、「ライバル」というか、そういう友人たちに巡りあえた場所でした。環境としては最高だったと思います。

―― 一時期、ジャンプ人気作家のほとんどが和月先生のアシスタント出身だったって時代がありましたよね。

尾田:アシスタント時代から「みんなで一緒に連載しよう!」と切磋琢磨してましたから、それが実現したときはとてもうれしかったですよ。

――当時のライバルたちの中で、とりわけ意識しておられるのはどなたですか?

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尾田:武井宏之さん(『シャーマンキング』など)ですね。彼は昔っからすごいセンスが良かったんですよ。今でも「すげえな」って思わされ続けてます。

彼は、「これは僕には描けないな」という絵とか構図を、さらさらと平気で描くんですよ。メカとかもうまいですし。すごい人ですよ、本当に。

尾田栄一郎プロフィール

尾田栄一郎(おだえいいちろう) 1975年、熊本県生まれ

高校生時代に執筆した短編まんが『WANTED!』が第44回手塚賞(1992年)に準入選。その後、アシスタント経験を経て、1997年に『ONE PIECE』で週刊少年ジャンプ連載デビュー。魅力的なキャラクター、躍動感のあるアクション、感動的なストーリー描写などによって、老若男女幅広い層から絶大な支持を集め、単行本の累計部数は1億部を突破している。アニメ化、ゲーム化、映画化などのマルチメディア展開も好調。海外にもファンが多い。


「まんがのチカラ」次回予告
次回(2007年12月17日頃掲載予定)は、もはや大河ドラマと言っても過言ではない超大作『ONE PIECE』、その原点ともいうべき読み切り作品『ROMANCE DAWN』の話を口切に、物語に巧みに張られた伏線の真実や物語がいったいどれくらいで完結するのかなどの制作秘話を先生自ら大激白!?お見逃しなく!

2007年12月10日