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弘兼憲史 その4

「まんがは、世界に誇れる日本文化なんです」───日本のコンテンツ産業を支える源泉としてのまんがについて、また、大人から子どもまで幅広い読者を見据えたこれからのまんがの未来について。時に熱く、時にクールに、思う存分に語っていただきました。

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まんがはコンテンツ・オブ・コンテンツ

■日本のまんが文化をつくりあげた三大要因

---- 弘兼先生は、いまのまんが業界を、どのように捉えていらっしゃいますか?

弘兼:まんがは"コンテンツ・オブ・コンテンツ"、つまりコンテンツ産業の源泉となっているものだと思います。ほとんどのアニメやゲームは、まんがを起点にして出来上がっているといっても過言ではないぐらいです。全体で10兆円産業ともいわれている日本のコンテンツ産業は、いまやこの国を支える大きな柱になっています。その中心ともいえるまんがの果たす役割は、非常に重要です。老若男女の別なく、まんががここまで行き渡っている国は、世界中探してもあまり類を見ないでしょう。それほど、日本のまんが文化はすごいものだといえます。

---- なぜ、日本のまんが文化はこれほどまでに成長したのだと思われますか?

弘兼:要因としては、三つの理由が考えられると思います。
まず一つめは、手塚治虫先生という大天才が現れたこと。手塚先生の素晴らしい功績の中で、とくに注目すべきなのは、まんがにはじめて映画的手法を取り入れたことです。キャラクターの顔や目がアップになったり、飛んだり跳ねたりという、それまでにないカメラアングル的な手法は、非常に動きのある活き活きとした画面構成を可能にし、これが日本のまんがへ、根源的な大きな力を与えました。
その手塚先生の偉大な才能のもとに、石ノ森章太郎先生、赤塚不二夫先生、藤子不二雄先生といった方々が集まってきました。かの有名なトキワ荘です。手塚先生を中心とした、まんが梁山泊ともいうべき、天才集団の誕生は、後々まんがを世に広める大きな原動力となりました。
二つめとしては、広大なマーケット層の存在が挙げられます。当時、戦後のベビーブームとともに子どもの数が爆発的に増えて、まんがを必要とする非常に大きな集団が形成されていました。後に「団塊の世代」とも呼ばれるこの世代は、まんがの発展を支える豊かな土壌となりました。
三つめに、その団塊の世代の成長に合わせて、きっちりと出版社がマーケティングしていったことです。欧米では、まんがは小さい出版社が出していることがほとんどで、大手出版社がまんがを出版しているのは日本だけなんです。大企業には、当然人材もたくさんいて、いろんなマーケティング活動が可能なわけです。
読み手の子どもたちも最初は、親に買い与えられて月刊誌を読んでいました。そのうち自分のおこづかいで買いたくなりますが、なかなか高くて買えない。そこで、安価な週刊��化が考えられたのでしょう。ページ数を減らして単価を下げ、その代わり、「話の続きがすぐ読みたい!」という魅力によって、定期的な毎週の購買に結びつけるという仕組みです。
やがてその子ども達が大学生になって、大学生がまんがを読むという、新しい文化も生まれました。さらに、僕らが社会人になる頃には、出版社は「青年コミック」という、ストーリー性やメッセージ性の強い大人が読むまんがというジャンルを提示してきました。当時は「片手に朝日ジャーナル、片手に少年マガジン」なんて言葉もできたほどです。
少年まんが誌から始まり青年まんが誌へ移行させるという、きっちりとしたマーケティング活動は、一過性でない安定したまんが市場を作り続けてきました。
これら三つの要素が重なって、日本のまんがは世界に誇るべき文化となったわけです。

2006年12月01日