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『ゆでたまご先生』 その2

高校を卒業したゆでたまご先生が、いよいよ連載を開始した『キン肉マン』が、どのようにしてその人気を不動のものにしていくのか。その過程を、連載開始当初の苦労話や、制作の上での裏話を交えつつ、嶋田先生と中井先生が当時を振り返り語ってくださいました。

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ギャグとシリアスの融合が『キン肉マン』の面白さ

――『キン肉マン』の連載開始は高校を卒業してからということでしたが、準備期間はちゃんととれたんですか?

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中井先生

中井:全然とれませんでしたね。高校最後の年末に手塚・赤塚賞の授賞式に出たら、「増刊号用の読み切りを1本描け」って言われて、年末年始休みなしで描いて、相棒にもベタ塗りとかを手伝ってもらって……。

――それで、卒業したらすぐに連載で?

中井:いや、その前にもう1本、『キン肉マン』の読み切り版を描いたんですよ。

嶋田:編集部としては、連載前に、もう1度読者の反応を確認してみたかったんでしょうね。

――当時まだ18歳ですよね。不安とかはなかったんですか?

中井:そりゃありましたよ! また、編集長が脅かすんですね。原稿は2ヶ月前に入校が当たり前だとか、ノイローゼになった作家の話とか……。それでだんだん「うわー、大変なことになったぞ」って(笑)。

だから、僕らは2人組で本当に良かった。1人だったらきっとつぶれていましたよ。

――そしてその年の春から連載が始まったわけですが、人気はいかがでしたか?

中井:おかげさまでジャンプの人気アンケートの上位にはずっといて、それなりに人気を獲れていたみたいです。

――それじゃあ安心したんじゃないですか? これならやっていけるって。

嶋田:実は、僕はそれでも不安で、東京には出ずに実家で作業していたんですよ。相棒だけが東京に出て行ってたんです。当然、やりとりも手紙とか電話とかですから、1位とか2位とか言われても、あまりピンと来ない。空気が伝わってこないんですよね。だから人気が出たって言われてもずっと不安でしたよ。

ただ、人気はともかく、自分たちの描いたまんがが印刷されているだけでうれしかったですね。仕事という気がぜんぜんしなかった。ほとんど、高校生時代の延長でしたよ。

――中井先生のほうは、人気が獲れていたことについて、どうでしたか?

中井:当時、編集者が手配してくれた成増の家賃1万4000円のアパートに住んでいたんですが、なにせ始めての一人暮らしですし、全部を1人で描いていたので、必死でそれどころじゃないという感じでしたね。

その上、原稿料が少ないのに配慮して、編集部がギャラの高い2色ページを多くふってくれたんですよ(笑)。

――1人きりで描くというのは、いろいろな意味で大変そうですよね。

中井:ええ、それで担当の中野さんが見かねて、編集部内にあった「執筆室」という、まんが家をカンヅメにする部屋に入れてくれたんです。この部屋は最初、コンタロウ先生(『1・2のアッホ!!』など)が、次に江口寿史先生(『ストップ!! ひばりくん!』など)が入っていたという伝説の部屋で、僕は江口先生とちょっとかぶる感じで入らさせてもらいました。

嶋田:住んでたようなもんだよな(笑)。

中井:ほとんど住んでましたね。アパートは一応借りていましたけど、週に1度洗濯をしに帰るくらいで……。3年くらいそんな生活を続けたのかな。

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(写真左)嶋田先生      (写真右)中井先生

――今からはとても考���られないような境遇ですね……。

中井:でも楽しかったですよ。秋本治先生(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など)や小林よしのり先生(『東大一直線』など)といった先輩まんが家さん達と食事をご一緒させて頂いたり、まんがの技術について教えてもらったり。

たとえば、僕、カラー原稿の時に黒い線を普通の墨汁で描いてたんですよ。でも、それだと上に色を塗るときににじむじゃないですか? だから当時は、にじまないよう、線に触れないよう苦労して塗っていたんですね。ところがそれを見ていた、みやたけし先生(『Go☆シュート』など)が「なんでそんなことしてるの? 証券用インクを使えばにじまないよ」って教えてくれて。

僕はアシスタント経験がなかったので、技術的な面は執筆室でいろいろと学びましたね。

嶋田:すごくうらやましかったですよ。

中井:そうそう、執筆室の思い出で一番面白かったのは、鳥山明先生(『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』など)が、『Dr.スランプ』の連載前に、ちょっとしたカットの仕事で執筆室に来た時のできごとですね。すごく緊張していたので声をかけたら「これから連載なんですけど、やっていけるかどうか不安なんですよ」とか言うんですよ。

――あの鳥山先生が!

中井:僕はそのころ、執筆室に詰めるようになってから半年くらい経って慣れていたので、カツ丼を食べながら「そんなの大丈夫ですよ。僕でもやれてますから、余裕ですよ」とか言って(笑)。

まさかその時の先生が、あんなにすごいヒットを立て続けに飛ばすとは思いませんでした(笑)。

――ところで、嶋田先生はどういうふうに作業されていたんですか? まず、原作をどうやって東京の中井先生まで届けていたのかが気になります。当時はケータイやメールなどなく、ファックスもまだ一般用ではなかったですよね。

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嶋田先生

嶋田:そうですね。だから、原作は航空便で送っていたんです。土曜の朝一に郵便局から発送すると、たしかその日のうちに新橋まで届くんですよ。それを使っていました。

――原作はどういう形のものだったんですか?

嶋田:文字ベースのシナリオみたいな感じですね。2人だけが分かるような共通言語で書かれているんですが、それを毎回、原稿用紙30枚くらいかな。

中井:『キン肉マン』は1話13ページなので、だいたい収まらないんですよ。だから担当の中野さんと相談して削ったり、1回の原作を2回に分けたりしてました。

――それだけの密度を持った原作って、だいたい1話何日くらいで書けるものなんですか?

嶋田:全然休まず毎日書いてましたよ。ずっと引きこもりでやってましたね。また、当時は清書までしていたし(笑)。

――ギャグも全部、嶋田先生が考えるんですか?

嶋田:いいえ。僕も書きますけど、相棒もアドリブでギャグを入れたりしてましたね。

――そうして描き上がった原稿を、当然、続きを書く嶋田先生にフィードバックしますよね? それは何日後くらいなんですか?

嶋田:読者と同じ、本が上がるまで分かりませんでした。だから「オレはこういうつもりで書いたわけじゃないのに」っていうことも起きちゃうんですね、やっぱり。

本当はシリアスなシーンのつもりで書いたのにギャグになっちゃってるとか。でも、それもまた2人でやってる醍醐味なんですよね。実際、それが功を奏して盛り上がっていった面もあると思っています。

ただ、やっぱり作業的にいろいろとムリが出てきたので、相棒から1年遅れで僕も上京しました。

――なるほど、初期の『キン肉マン』はそのようにして作られていたんですね。さて、『キン肉マン』というと、超人オリンピックのあたりから方向性が大きく変わっていったと思うのですが、そのあたりの経緯を教えてください。

嶋田:「第1回超人オリンピック編」は当初、超人が世界中から集まって、重量上げとかの競技をするだけのはずだったんですよ。あのシリーズはそれで終わる予定だったんです。

ところが、その中で、超人同士の戦いを描いたらすごく人気が出たんですよね。それで「これだ!」と思って。2人ともプロレスが好きだったので、「第1回超人オリンピック編」の後半をバトル路線に切り替えました。

――中井先生としては違和感はなかったんですか?

中井:僕もその流れがベストなのかなと思っていたので、違和感はなかったですね。

嶋田:ただ、それでも僕はギャグが大好きでしたし、『キン肉マン』は今でもギャグまんがだと思っているくらいですので、「アメリカ編」の直後くらいにギャグ路線に戻したんですよ。そうしたら、急に人気が落ちて(笑)。それであわてて「第2回超人オリンピック」を始めたんです。

それに、ひたすらギャグをやるより、シリアスな話の合間にギャグをはさむ方がウケるってことにも気がついたんですね。たとえば、悪魔超人っていう恐ろしいやつらを出しつつ、「超人ホイホイ」みたいなギャグを盛り込んでいく方が、ドッとくるんですよ。笑わせたいからといって、ずっとギャグをやる必要はないんやな、と。

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(写真左)嶋田先生      (写真右)中井先生

――なるほど。ギャグを引き立てるシリアスがあり、シリアスを引き立てるギャグがあって、それを交互に組み合わせていくのが『キン肉マン』なんですね。

ゆでたまごプロフィール

嶋田隆司(しまだたかし) 1960年、大阪府生まれ
中井義則(なかいよしのり) 1961年、大阪府生まれ

1978年、『キン肉マン』が第9回赤塚賞準入選。その後、週刊少年ジャンプで同作品を連載(1987年まで)し、社会現象にまで発展するヒットを記録する。アニメ、映画、グッズ、ゲームなど積極的なマルチメディア展開も行なわれた。特に登場超人を模した「キン消し」は当時の子供たちの間で大流行となる。現在は、週刊プレイボーイ誌上で、続編『キン肉マン2世』を連載中。


「まんがのチカラ」次回予告
週刊少年ジャンプ誌上で大人気を博した『キン肉マン』。その後、キン肉マン消しゴムの発売やアニメの放送開始とその大ヒットにより、社会現象にまで発展することになります。そして、作者のゆでたまごのお二人は正に大成功を収めることになるのですが、当時の生活は意外なことに・・・。次回は2008年2月22日頃掲載予定。お楽しみに!

2008年02月15日