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『魔夜峰央先生』 その2

前回は、魔夜先生流まんがの作り方やこだわりを教えていただきました。しかし、そんな先生にも下積み時代はあったのです! 今回は、先生がプロまんが家を目指された経緯から、貧乏時代のトラウマまで、面白エピソード満載でお届けします!!

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下積みの苦労からカップうどんがトラウマに!?

――前回は先生のまんがに対するこだわりについてお話をお伺いしました。今回は、先生がまんが家になるまでのお話を聞かせてください。
まんが家になろうと思ったきっかけは何だったんですか?

魔夜:いや、実はこどものころにまんが家になろうと思ったことはないんですよ。まんがが好きで描いてはいましたけど、プロのまんが家になんてなれっこないって思っていたんです。そんな才能は自分にはない、と。だから、まんがは趣味ということにして、大阪芸術大学に進学しました。

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――芸術大学を選んだのは、まんが家にはなれないにしても、絵の方向に進みたいという気持ちがあったからですか?

魔夜:いや、普通の大学は試験があるからですね。今はどうかしりませんけど、当時、大阪芸大だけ学科試験がなかったんです。それで、そこにしようと(笑)。実技だけならなんとかなるかなって思ったんでしょうね。

――でも実技だって、勉強というか訓練が必要ですよね?

魔夜:そうなんですよね。みんな芸大予備校みたいなのに通って、試験に臨んでいるんですよ。ただ、当時の僕はそんなことも知らずに、ほんとにぶっつけ本番で会場に行っちゃった。

――すごいですね(苦笑)。ちなみに実技試験はどういう内容だったんですか?

魔夜:2つあって、1つは「腕時計をデザインしろ」、もう1つが「鳥をテーマに、色を使ってデザインしろ」でした。

で、その実技試験は、立って歩いてほかの人のを見ても良かったんですよ。それで、近くにいたすっごく「デザイナー」な格好をした女の子が描いているのをのぞき見たんですね。そうしたら、それがあまりに稚拙でね。それで、これならオレでも合格できるかもしれないなって自信が持てました。

――そして実際に合格してしまった、と。

魔夜:そうですね。ただひたすらまんがをたくさん描いていた、それだけが頼りでしたがなんとか合格できました。ちなみに倍率は2.5倍だったと思います。

――やはり才能があったということなんでしょうね。

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魔夜:どうなんでしょうね? ところが、それで入ってみたら美大ってちっとも面白くなくて。街のお絵かき教室みたいなもんなんですよ。課題を与えられて「やってこい」の繰り返しなんです。なにも教わらないし。むしろ、まんがを描く中で身につけていたことが授業で役に立ったりするありさまでしたよ。たとえばペン画の授業なんかは一番良い成績を取ってましたね。

だからすぐに飽きてしまいましてね、まともに受けたのは体育の授業だけで、あとの時間はずっとまんがばっかり描いていましたよ。

――体育は真面目に受けていたんですか?

魔夜:運動不足になっちゃいけないですから(笑)。で、そんな調子だったものですから、結局、2年で大学を辞めることになっちゃいました。

――そこからいよいよプロを目指すんですね?

魔夜:うーん。実はその時点でもまだ自分がプロになれるとは思っていなかったんですよ。ただ、大学を辞めるに際して、親に何か言い訳をしなければならなかった。それで「まんが家になりたい」って言ったんです。

そして「ちょっと時間をくれ。大学に行かせたと思って、あと2年食わせてくれ」って頼んだんですね。

――なるほど。では、その2年間について教えてください。プロに向けてどんなことをされましたか?

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魔夜:投稿ですね。ひたすら描いて、ひたすら投稿していました。最初は集英社「別冊マーガレット」に、今でもまだある「別マまんがスクール」という賞に応募していました。

何度か入選して、残念ながら最高でも銀賞止まりだったんですけど、2本は誌面に掲載してもらえました。その作品に関してはありがたいことにファンレターなんかもいただたんですよ。

――もう、ちょっとしたプロ作家ですね! 連載デビューもすぐだったんじゃないですか?

魔夜:ところがそう順調には行かないんですよ。当時の私もそういう甘い考えでいたんですが、現実は甘くなかった。2本も載せてもらったんだから、後はどんどん仕事がもらえるんだろうと思っていたんですが、まるっきり話が来ないんですね。

それもそのはず。本来ネームを自発的にたくさん描いて送らなくちゃいけないのに、それを全くしていなかったんですよ(苦笑)。

それでどんどん落ち込んでいって、描けなくなっちゃったんです。「眼高手低(がんこうしゅてい)」っていう言葉があるんですが、まさにそんな状態になってしまった。「眼が高く手が低い」。ようするに、眼識ばっかり高くなって、自分の描く漫画が下手に見えてしょうがなくなっちゃったんです。何を描いても「ダメだこんなの」って思うようになってしまいました。

そんな状態が1年くらい続いたある寒い日、真夜中に「もう諦めようかな」ってどん底に落ちて考えたんですよ。でも夜が明けるころに、やっぱり思い直しましてね。「辞めてほかに何ができる? まんがでやっていくしかないんだ。ほかの人の5倍も10倍も努力すれば何とかなるかもしれない」って考えたんです。

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それで手始めに、すでに書き上げていた作品を白泉社の賞に投稿したんです。そうしたらそれが特別賞をいただけて......。そこからですね、光明を見いだせるようになったのは。

――今のご活躍からは全く想像できないんですが、そんな暗い時代があったんですね。

魔夜:当時はお金がなかったので、カップうどんばかり食べていたんです。そうしたら、後でカップうどんが食べられなくなりましたね。当時のことを思い出しちゃって。それくらい忌まわしい思い出です。しばらくしてから食べたら、ちゃんと美味しかったんですけど(笑)。

魔夜峰央プロフィール

魔夜峰央(まやみねお) 1953年、新潟県生まれ

1973年、デラックスマーガレット掲載『見知らぬ訪問者』にてデビュー。当初は妖怪まんがをメインに展開していたが、1978年『ラシャーヌ!』でギャグまんが家に方向転換、その後、『パタリロ!』シリーズを連載開始し、現在も別冊花とゆめにて連載中。『パタリロ!』は2度のアニメ化や劇場版公開、舞台化などマルチに展開。熱狂的なファンが多いことでも知られている。なお、『パタリロ!』の単行本巻数は外伝なども含めると少女まんが界最長となる。


「まんがのチカラ」次回予告
カップうどんにトラウマを抱えつつも、プロデビューへの道を歩み始めた魔夜先生。チャンスを掴むために先生が取った手段は、とにかく完成原稿を編集者に送ること! 先生のまんが作りのスタンスと『パタリロ!』誕生の経緯をお伺いした次回は、2009年3月16日(月)公開予定。お楽しみに!

2009年03月09日