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『庄司陽子先生』 その4

ちょっと生意気で、少女まんがの世界にあこがれる女の子だったという庄司先生。 母親譲りという絵の才能と目標を諦めない信念と情熱で、ついにデビューを実現します。 しかし、その後は必ずしも順調ではなかったとのこと。そこで、ここでは、そんな苦難の下積み時代について振り返っていただきました。

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苦難続きの下積み時代

---- プロになるという目標に向けて、具体的にはどういった行動を起こされたんですか?

庄司:最初は持ち込みですね。でも、初めて持ち込んだ出版社には見てすらもらえなくて(苦笑)。それで、仕方がないから持ち込んだ講談社で面白いからまんが賞に応募しなさいって言われて、そこで佳作をいただきました。

---- 初めて描いたまんがで佳作ってすごいですよね?

庄司:いや、それまでも同好会的なものを仲間で作って活動していたので、まんがを描くこと自体は初めてではなかったんですよ。会誌を作って、全国の会員で回覧するようなこともしていましたし。

---- なるほど。その会誌で腕を磨いていたんですね。さて、佳作を取った後は、とんとん拍子で連載デビューという流れになったんでしょうか?

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庄司:いや、そんなに甘くなかったですね。その後、とりあえず読み切りを載せていただくことになったんですが、その原稿を見た編集者に「原稿が汚いから描き直してくれ」って言われて、全く同じものを丸まる16ページ描き直すことになりました。

それが夏のことなんですが、それがいつまで経っても本に載らないんですよ。で、いつになるのかなあって思っていたら、冬に連絡があって「掲載することになった。ついては服装を半袖から長袖に直してほしい」って(笑)。

だから、その読み切りは、全部で3つあるんですよ。セリフ一緒、コマ一緒のものが。

それが高校3年生の冬ですね。その後、翌年の2月にもう1本載せていただいたんですが、その後、完全に梨のつぶて状態になっちゃいました。なんとか仕事をもらうために、毎月4本のネームを編集部に送り続けましたが、それも全部没。ときどき、「代原」(締め切りに間に合わなかった連載作品の代わりに掲載される穴埋め原稿)で載せてもらうことはあったんですが、連載は遠かったですね。

---- 苦難の時代ですね。

庄司:そんな状況が8ヶ月くらい続きました。でもそれでもくじけずに続けていると、編集者の側にも温情って言うんですか? 「アイツに描かせてやろうかな」みたいな感じになるじゃないですか?

そんなころに、代原で載った作品が人気投票で2位になって、それで、当時の担当さんが短期の連載をやらないかって声をかけてくれたんですよ。原作付きのスポ根モノで、全8回の連載だったんですが、それがまぁまぁ好評だったので、その後、しばらくは原作付きで、しかもスポ根ばかりなんですが、連載を持てるようになりました。

---- ついに連載デビューですね! 原作付きということですが、やはりそこからストーリー作りを勉強されたりしたんですか?

庄司:いや、それはないですね! 逆に、全然原作に納得できなくてイライラしていたくらいで。この主人公はこういう言い方はしないだろうとか、展開が突飛すぎるとか。ストーリーとしては一応まとまっているんだけど、どこか違和感が残るものばかりだったんですよ。正直、こんなのでお金もらって良いんだろうかって思ってました。

---- やっぱり、お話も含めて全部自分で作りたいと。

庄司:そうですね。それとジャンル的にスポ根が嫌いというわけじゃなかったんですが、それだけ描かされるという状況にも抵抗があって......。そこで、そういう状況が1年くらい続いたころ、担当者とグルになって、編集部に内緒で『なくなネンネちゃん』っていう学園モノの連載を始めちゃったんですよ。

なくなネンネちゃん

そしたら、周りから「あなたは黙ってスポ根描いてりゃ良かったんだよ」とか「スポ根の方が上手いよね」とか言われて......。ちょっと落ち込んだんですが、最終回が2位になって、その直後に掲載された続編も5回の連載だったんですが全部1位を獲っ���。そしたら何も言われなくなりました。

---- 逆襲開始ですね! 周りの目も変わったんじゃないですか?

庄司:でも人気が出たら、今度は私のマネをする新人が出てきちゃって困りました。セリフの言い回しとか、設定とか、それこそ名前まで全部マネされちゃったんですよ。同じ雑誌なのに、全く同じモノを描いてくるんですね。しかも、相手の方が若いから作風がダイナミックで派手。私は割と地味な絵じゃないですか? そうするとやっぱり見栄えが良い方が人気出ちゃうんですよ。結果として、待遇も全然違ってて(苦笑)。

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例えば打合せにしても、向こうは編集長と副編集長が付きっきりなんですよ。それが羨ましいって気持ちは無かったんですけど、釈然としない気持ちはありますよね。「私のマネなのに!」って。そういうのを許す編集部がすごく不愉快でした。

---- お話をお伺いしていると、なんだかずいぶんとご苦労されていますよね。今日の成功からはなかなか想像しにくいところで、少し驚きました。

庄司:えー? でも、今だって、編集長が替わるたびに、庄司陽子を辞めさせようって話になるんですよ?

---- そうなんですか!? しかし、それはまたどうして?

原稿料が高いんで編集部から嫌われてるんです(笑)。

私が新人のころって、原稿100枚描いても10万円くらいにしかならなかったんですよ。それだと、家賃払って健康保険や年金払ったら、食べてくだけで精一杯。だから、それを何とかしたくて、かなり駄々こねたんですね。ああいう辛い思いを下の子にさせたくないって気持ちもあって。

その結果、今では新人さんでもかなり待遇は良くなったんですが、でも、それでもやっぱり作品次第ですし、そのきびしさも知ってほしいです。作家の資質が問われるのはかわりませんから。

庄司陽子プロフィール

庄司陽子(しょうじようこ) 1950年、千葉県生まれ。

1968年デビュー。講談社、週刊少女フレンドを中心に多数の作品を執筆し、デビュー10年目となる1977年に『生徒諸君!』を連載開始。第2回講談社漫画賞少女部門を受賞したほか、2度のテレビドラマ化や映画化、アニメ化など、絶大な支持を集めた。近年はレディース誌に活動の場を移し、2003年から『生徒諸君!』の続編となる『生徒諸君! 教師編』を連載開始(現在も連載中)。2006年には、性同一性障害を扱った『G.I.D』で青年誌進出も果たしている。今年でデビュー40周年。そのほかの代表作に『セイントアダムス』『Let's 豪徳寺』『サンクチュアリ』『I′S』『ルシフェル』などがある。


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2007年05月25日